給食はなぜ始まったの?
学校給食は、昔十分に食事を取れなかった子供達に昼食を食べさせたことから始まりました。
明治22年 | 山形県忠愛小学校で始まったのが日本で最初です。 献立 ⇒ おにぎり、さけの切り身、つけもの |
その後戦争が始まり中止になりました。 | |
昭和21年 | 12月24日戦争が終わり日本のあちこちで、給食が始まりました。 |
昭和22年 | 12月脱脂粉乳(スキムミルク)が始まりました。 「ミルク給食」の始まりです。 |
昭和26年 | 小麦粉の寄贈がありパンも給食に出るようになりました。 「完全給食」の始まりです。 |
苫小牧の給食は?
昭和22年 | 樽前小・西小・東小の3校で実施されました。 最初は「ミルク給食」ではなくお味噌汁のみでした。 のちに苫小牧市も「ミルク給食」が始まり脱脂粉乳が出されました。 |
昭和26年 | 給食室が各学校にある自校式給食で「完全給食」が始まりました。 献立 ⇒ パン、脱脂粉乳、おかず |
昭和43年 | 新富町に「苫小牧市学校給食共同調理場」が建てられました。 ※苫小牧市の小・中学校の給食を作りました。 |
昭和51年 | 週1回の米飯給食が始まりました。 ※この時は一人分でパック詰めでした。 献立 ⇒ カレーライス、牛乳、デザート(くだもの) |
昭和53年 | 現在ののぞみ町に「苫小牧市第2学校給食共同調理場」が建てられました。 |
昭和62年 | 8月から米飯保温のため保温箱の使用が始まり、温かいご飯が食べられるようになりました。 |
昭和63年 |
4月から麺がホット麺になりました。 |
平成4年 | 4月からはし持参が始まりました。(献立によっては、センターからスプーンがつくこともあります。) |
平成5年 | 1月から郷土食としてホッキカレーが給食に取り入れられました。 |
平成15年 | 5月インド中近東で食べられているパンのひとつで、ナンが給食に取り入れられました。 |
平成18年 | 1月清水小学校の児童が、調理実習で苫小牧産の食材を使用し、コロッケ・シチューを作りました。それをアレンジして給食に取り入れました。ネーミングはとまじゃがコロッケとふるさとシチューです。 |
10月地場産給食として、鮭のポトフとB1豚肉とエリンギのカレー炒めを取り入れました。 | |
平成19年 | 1月ホッキのホワイトカレーを取り入れました。 NHKラジオで全国に紹介されました。 |
4月清水小学校3年生が考えた、地場の食材を使ったパン作りをしました。それを給食用にアレンジして"とまたるカップ”ができました。 | |
11月郷土文化「アイヌ文化食」チェプオハウとカボチャラタスケプを取り入れました。オハウは日本食の三平汁に近い味、ラタスケプはカボチャと金時豆、クルミを使った献立です。 | |
平成20年 | 2月清水小学校3年生が考えた献立、ビタミンたっぷり肉うどん、苫小牧産の豚肉、しめじ、道内産のほうれん草、かぼちゃ、芋を取り入れました。 今では、100種類の献立があります。 |
平成24年 | 「苫小牧市第1学校給食共同調理場」が新富町から柳町へと新築移転し、供用が開始されました。 |
令和4年 | 「苫小牧市第2学校給食共同調理場」がのぞみ町から美原町へと新築移転し、供用が開始されました。 |