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青年海外協力隊~協力隊員の声~(平成22年内海さん 47)

平成22年度2次隊 ケニア 養護 内海智博さん

プロフィール

内海さん
苫小牧東高校を卒業後、浅井学園大学(現・北翔大学)で生涯学習、特別支援教育を学ぶ。卒業後、札幌市内の特別支援学校にて、小学部、訪問教育部で3年勤務。 平成22年11月、ケニア、ニャンザ州マランダ、マランダ養護学校に赴任。平成24年9月まで活動予定。
 

47. 「仕事もふりかえる」


「誰だ〇〇を殴った奴~!」
「誰だここに石置いた奴~!」
「コウモリの死体持ってくるな~!」
「水出しっぱなしにするな~!」
そして、毎晩21時、「おまえら寝ろ~!」って言って1日終了。良くも悪くもこんな繰り返しだけで2年が過ぎました。
我が家が出勤徒歩0歩からの、アニメか映画の設定並に素晴らしいところにあったため、本当に四六時中、学校と子どもらと共に過ごした2年間でした。ちょっとパソコンに夢中で、足元ざわってビックリして机の下みたら、ドミノ倒しが完成してたり…、毎日が奇跡でした。(毎回ドミノなら平和だが…。パソコンおしっこまみれの時は焦った。)

学校と子どもらと共に過ごした2年間でした

 この学校、前回書いた通り素晴らしい学校です。しかし、のんびりし過ぎて、授業活動自体はあまり積極的に行われていません。教えてもテストの点が上がるわけでもなく、先の進路があるわけでもないということで、教師側のモチベーションの維持も難しいのかな。残念なところです。なので、日本でいう学校というよりは、子ども預り所、福祉施設の要素が大きい気もします。
 ただ、私がここに来て感じたことは、「あれ、このままでいいんじゃない…?」って感覚なのです。授業なんてしなくたって日常生活の中に学びがあります。ある意味、理想像に見えました。教えるどころか全くの逆で、ぜひこの空気を身に付けたいな、学びたいなって感覚でした。

素晴らしい学校です

 私、日本では肢体不自由の養護学校で3年働いていました。ケニアに来る際、その時の写真を持ってきたのですが、それを校長先生らに見せたことで、「プレプライマリー1」(ナサリー(幼児)クラスの1つ上のクラス)となり、この学校の中でもちびっ子の部類に入る連中の担任となりました。
 授業は最初、迷いました。とりあえず、ゆっくり様子を見たかったのですが、日本人が何やるのかっていう注目もあったので、とりあえず、ずっと校内だと子どもらつまらないかなと思い、毎日散歩してみました。外国人の私を怖がる生徒もいたので、お互い慣れる意味でも良かったかもしれないですね。でも、養護学校のちびっ子らでも、授業は紙と鉛筆と黒板で、ABCとか123を書く!みたいな洗脳というかなんというか、そういうモチベーションが非常に高いことがわかってきたので、徐々に教室での授業に移行しました。ただ、彼ら毎日授業する習慣はなかったので、焦らず、「自分は毎日いるぞ~、来いよ~。」って心の中で発信しながらの序盤でした。  

序盤

 最初、皆に白い紙と鉛筆を、「好きなように使え!」って渡したんですよ。その時の様子は一生忘れることないんじゃないかなぁ。みんな躊躇して、「え、このキレイな紙に好きなこと描いていいの!?」みたいな感じでした。そして、描いて良いってわかった時の喜びようといったら…凄かったんですよ。そう、あまり文字を書いたりが期待できない子らには、なかなか紙や鉛筆は使わせてもらえないんです。それを自由!って言われたんですから。これを見て、私は、なんだか肩の荷が降りたというかなんというか。これでいいじゃないか!自分は紙と鉛筆を出し続けるおじさんでいいじゃないか!って。
授業は、全体での朝会後、毎日朝9時から休憩挟んで昼12時過ぎまで。最初の10分位みんなでちょっとした課題をやって、後は教室をプレイルームみたいな感じにして、自由に出入りさせながら、やりたい子には「1」は瓶のふた1個で、「2」は瓶のふた2個で…みたいな、個別に学習させる方針にしました。数字もおもしろいですよ~、ここは3言語ミックスで使う土地。子どもら1、2、3を言うのに、「ワン(英語の1)アリヨ(部族語ルオ語の2)タトゥ(公用語スワヒリ語の3)!」みたいな感じですからね。2年目はクラス外の子も自由に出入りさせていました。15人位でウツミの処理能力は限界なのですが。

日本でよく知られるおもちゃ、「ジェンガ」もヒットでした

 日本でよく知られるおもちゃ、「ジェンガ」もヒットでした。(大きな街で購入。)これだけ正確なクオリティの積み木も子どもらにとって新鮮だったようです。普段遊び道具は木の枝や土や石ですからね。実はこの「ジェンガ」、ケニアでの公用語、スワヒリ語が語源なんですよ。「建てる」とか「建物」の意味なのです。ここケニア、大人でも衝撃的に順番を待てない人達なので、子どもらにルール教えるのも大変でした。順番を待つのも勉強じゃ!(笑)

日本でもよく使うビーズ

 そして日本でもよく使うビーズ、これも皆でかなり熱心に取り組みました。ほんと飽きずに2年間毎日やってた子がいましたね。ただ通すだけで満足な子が多かったのですが、少しずつ色を考えながら、パターンを意識できるようになってきている子もいます。終盤は写真よりも小さい本格的なビーズを使っていました。2年の力はでかいです。「お前そんなに上手に作れるんか?」ってまわりの先生をびっくりさせた子もいます。ただ、収入に繋げるとかを考えると、自分の生徒らはまだ小さすぎだなぁ。これを見た、年長クラスの先生らが触発されるのを期待しています。ちなみに、女の子は水色、黄色、白等、淡い色を。男の子は赤とか黒とか原色っぽい色を好みます。日本の子どもらと同じですかね、なんだか興味深かったです。

授業の位置づけ

 授業の位置づけなのですが、日本では学ぶ場ですよね。でも自分はこの学校を見ていて、普段やらない事に挑戦したり、リフレッシュとかの場でいいんじゃないかと思って2年間やりました。前回書いた通り、生活に必要なことは生活の中で学べる環境なんですよ。なので、普段どうしても大きい子達の影に隠れてしまいがちな、ちびっ子らの動きを拾って楽しんでもらおうという認識で行いました。
子どもらの動きを拾う姿勢は、ケニアの教師に欠けている部分かもしれません。その辺、同僚らは新鮮に見えたか、感心してくれていたように思えます。

子どもらの底なしのスタミナ

 そして14時頃、同僚先生方と昼飯食べて、私は休憩です。買い物行ったり(ヨーグルトを買うのに自転車片道7キロ!)、パソコンいじったりしながら過ごし、(休憩といっても我が家は子どもらがゴロゴロしているのですが…)17時から2時間サッカー!
以前にも書きましたがこれは本当に土日も関係なく、どんなに足首痛くても、パンクに備え常に予備のボールまで準備しながら2年間やりきった!今日休みたいなぁ…って思っても15時位から「先生、ボール!」って家まで来るんだもの…。「グラウンド、まだ小学生使ってるからちょっと待て」土日は「まだ日差しがキツイからちょっと待て」ってなんとか夕方まで待たせながら…。(この土地は日差しが強いため、現地の人らも日中あまり子どもらに運動させない)毎回3ヶ月の学期が終わったら私はボロボロですよ。大学野球やってたころと変わらぬ運動量です。それにしても子どもらの底なしのスタミナ…、彼らもよくワールドカップの中継なんかで聞く、「アフリカ人特有の身体能力」ってやつを持ち合わせてますからね。(最初は衝撃だった)2年で10個はサッカーボール買ったな。結構高いんだぞ、感謝しろよ~。(笑)終盤は意地でしたね。どうも、紙と鉛筆とボールとチャイ(後に触れる)を出し続けるおじさんウツミです。
学校に戻ると夜勤のスタッフが来ているので、必要性を感じた時は引き継ぎしたいなと思ってやっていました。あいつ今日はどうも様子がおかしいとか、今日〇〇ちゃんが来たから、ゲート早めに閉めたほうが良いとか。スタッフ同士でもしていますが、学校に住んでいるのは子ども以外で自分だけなんですよね。

夜のスタッフチャイタイム!

 20時、夕飯食べたら夜のスタッフチャイタイム!
牛乳と、月に10キロ(2年でどんだけ買ったんだ?)もの砂糖を買って、毎晩夜勤のスタッフらにチャイ(甘いミルクティーのこと)を振る舞っていました。なぜか2年続けちゃいましたね。夕方以降、他の教師陣が家に帰ると、校内に残る教師職は自分のみ。お客としてみてくれているのか、教師としてなのか知りませんが、言語すらままならないのに、自分が学校で一番偉い人みたいな不思議な状態になって、いろいろ助けてもらえてしまうのです。チャイでお返しといったところでしょうか。砂糖も牛乳もここの人らにとっては安くないものなので、喜ばれます。めでたい日とか嬉しい日には、ウツミの気分で食パンがついたりします。(パンはわりと田舎でも買えるのですが、少し高級食です。たまに学校スタッフらが「家の子どもら喜ぶんよ~」って言いながら買って帰るようなものなのです。)
 また、チャイを続けた理由のひとつに、こういう夜の会話がなんだか貴重に感じたのもあります。日中、教師陣がいる時には聞けない、給料月五千~七千円の学校お手伝いさんや警備員職の人らの庶民的な話が聞けるんです。(私が学校に住んでいる関係で、こちらの方々の方が同僚というのもあるのですが) なかでも警備員のじっちゃんの話は面白いですよ~。
 「トモヒロ~、お前は何人子どもがほしいんだ?2,3人?ほー、確かにケニアで考えると少ないが、最近、よく考えるとそれは良い考えだと思うんだ!今日また息子が学校から備品のお金払えと言われてきよった。トモヒロ~、おれは間違えた~!1人目の奥さんとの間に6人、2人目の奥さんとの間に6人ルオ族ケニアは一夫多妻、男性は2人複数?の女性と結婚できる)、12人の子どもは多すぎた。メシ代だけで給料終わりだ!息子2人、娘1人の3人で十分じゃった~!」
 気づくの遅すぎだろ~って感じなのですが、夜な夜な停電で真っ暗な学校ホールでの(停電時の星空がキレイ)、そんな会話が楽しかったですね。自分もお金の話まで全てオープンでいっぱいお話しました。お金の話はやっぱり盛り上がりますよね。それに、お金の話って大切だと思いました。
 隊員さんでは、お金に関して隠す人が多いようですが、私は、日本時代の給料、車を持っているって話とか、協力隊の待遇、こないだサファリツアーでいくら使ったって話まで聞かれれば全てオープンで過ごしてみました。
 まだ活動が終わってはいませんが、今のところ、これで良かったなという気がしています。途上国の田舎の人間が、大きなお金を理解できるかとか、妬みからトラブルの元になるのではという心配もあるとは思うのですが、私はそれはちょっと下に見過ぎな感じがしています。みんな、意外とお金に関しては知っているというか、感覚に違いはないんです。どうしてかと考えたのですが、実はどこの田舎にも、身近なところにお金持ちが住んでいて、そういう人らが地域のリーダーとなって、周りの住民達と生活しているんですよね。月数千円の給料の人らだって、有名な会社の給料、車の値段、パソコンの値段、飛行機の値段、国立公園入場料、近隣のお金持ち学校の学校費、意外にいろいろ知っているし、感覚もわかっているし、そういう裕福な人らとの、ケニア人なりの付き合い方みたいなものもあるんですよね。私は観光ではなくボランティアという仕事で来ているわけですし、逆に堂々と自然に過ごすことができたのかなという印象です。
 まぁ、ひょっとしたら影で、生意気な金持ち日本人のクソガキが!って言われているのかもしれませんが、その位のプレッシャーはあって良いのかなとも思いました。本来、日本の給料なりの仕事をここで魅せるのが仕事なんだろなぁって。
 とかなんとか言って、歌ってばかりの自分の能力が見合ったかどうかは、大いに疑問ですけどね。どなんでしょうね~?(汗)

私の生徒のひとり、ポリンちゃん

 先月7月、ここで過ごした2年の長さを考えさせられる出来事がありました。
  いつものように我が家に入り浸っている子らと一緒にギターで歌っていたら、2年間持った私の生徒のひとり、ポリンちゃんが、突然、初めて我が家に入ってきて床に座ったんです。私は目ん玉飛び出るほどビックリしたのですが、必死に我慢。この子、2年前は外国人の私が怖すぎて、挨拶どころか近づくだけでブルブル震えだしちゃう子だったんです。徐々に慣れて1年目終盤から、自分で毎日教室へ来るようになり、そのうち、挨拶を返してくれるようになりました。そして1年半程で、自分で紙と鉛筆を要求してくるようになり、この時も嬉しかったのですが、最近は、使い古しの裏紙を渡すと、新しい紙をくれよと突っ返してくる程、私に思いを伝えてくれるようになっていました。そんな彼女が家にやって来たんです。私は運良く机にあったカメラでこの写真だけ撮らせてもらって(座っていたのに、なぜか立ち上がって撮っている…)、そのまま歌い続け、彼女もしばらく私達の歌を聞いているように過ごし、10分程で出ていきました。そんなにお話の上手な子ではないので、彼女の中で何があったのかは想像するしかありません。ただ、本当に一瞬のような出来事だったのですが、これは、2年の時間の大きさというか、人と人との繋がりの不思議さみたいなものを感じずにはいられない出来事でした。あぁ、このためにやってるんだぁ、というかなんというか。個人的には、2年の成果、もうこれだけでお腹一杯になれちゃいました。
私との出会いがここの人らにとっても、貴重な経験になってくれていればいいなと思います

 私との出会いがここの人らにとっても、貴重な経験になってくれていればいいなと思います。けど、自分ばっかり未知なる挑戦をさせてもらって、なんだか申し訳ないんですよね。本当は逆に日本も見てもらいたいし、北海道も案内してあげられればいいのですが。
 むしろ、ここのスタッフと年長生徒を連れてって、日本で、マランダ養護学校日本分校をやるとか。おもしろいと思うんだけどなぁ。(3日で親御さんらに訴えられる気もするけど…。)

9月6日から3学期です。

 さぁ、8月2日に2学期は修了し、(自身ケニアで最後の成績表を渡した)1ヶ月、学期間休みだったのですが、9月6日から3学期です。生徒のいない学校は平和であると同時に物足りないですね。はやく戻ってこーい。ウツミと遊んで遊んで~。(笑)
 さっさと戻って来ないと私、20日頃には、任期終了で帰国手続きのため首都ナイロビへ撤収ですからね。
 にも関わらず、テレビつけると「TEACHER‘S STRIKE」な~んて見出しが踊っていますが…。(昨年9月もこれで一週間程開始が遅れる)
 給料を巡る公立学校教師全国一斉ストライキ。みんなどうやってストライキが始まったり終わったりしたのがわかるのか不思議なのですが、ラジオを聞いて判断するんですって。国内部族間でも多々問題のあるケニアなのですが、ある意味素晴らしい団結力…。
 今年もほどほどにしてね…。

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