■所在地:苫小牧市字勇払46番地の2
■所有者:勇武津波切不動明王奉賛会
■管理者:勇武津波切不動明王奉賛会
▲勇武津不動の外観
江戸時代の勇払における海上安全の守り神
勇武津不動は、享和3(1803)年、勇武津会所役人高橋次太夫(たかはしじだゆう)と八王子千人同心で詰合であった河西祐助(かさい ゆうすけ) や支配人・通詞(つうじ) 等が願主となって、航海安全、外敵退散、漁業繁栄、病災排除などを祈願して建立されています。不動堂は当初勇払川の東側に建立されていましたが、文化元(1804)年の会所の西側移転に伴って、不動堂も移転されたと考えられます。文化7(1810)年の勇武津の図を見ると、周りの土手で囲まれた会所と勇払川の間に「勇武津不動」が描かれています。
明治初年に新政府は神仏混淆の廃止をとなえ、不動堂は廃止される予定でしたが、住民の願いにより妙見堂(みょうけんどう)に 移されたといいます。妙見堂は北辰(ほくしん)妙見堂とも呼ばれ、北辰は北極星を指し、仏教では妙見菩薩(みょうけんぼさつ)と称しています。
▲幕府の命により北海道、樺太を調査測量した幕府の役人目賀田守蔭(めがたもりかげ)が各地の沿岸を描いた鳥瞰図。当時の勇払の様子を描いている。「北海道歴検図」(北海道大学蔵)
昭和41(1966)年に有志によってお堂は現在地へ移転新築されています。「勇武津不動」と刻まれた台座の上には、高さ約90cmの凝灰岩に不動明王の神像が刻まれています。不動明王はもともとヒンドゥー教のシバ神で、仏教では大日如来(だいにちにょらい) の使者と言われ、諸悪退散、煩悩除去、所願成就など霊験あらたかな神として信仰されています。
奉納品7点
奉納品には北極星を祀った「妙見堂」の扁額 、天保14(1843)年に奉納された「剣」の扁額のほか5点の祈祷礼(きとうふだ) があります。祈祷礼には「家内安全」「海上安全」と書かれたものもあり、一般のみならず、漁業者にも広く信仰されていたことが伺えます。勇武津不動
扁額「妙見堂」
扁額「剣」
祈祷札
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苫小牧市字勇払46番地の2