■所在地:苫小牧市美術博物館内(末広町3丁目9番7号)
■所有者:苫小牧市
■管理者:苫小牧市教育委員会
▲苫小牧美術博物館内に展示されている丸木舟(※常設展内のため、ご覧になるには入館料が必要になります)
発見された丸木舟
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▲発掘の様子(苫小牧市美術博物館蔵)
1966(昭和41)年7月、沼ノ端の稔橋下流80mほどの旧勇払川右岸から、丸木舟5艘と櫂(かい)※1・棹(さお)※2などの舟具類が発掘されました。丸木舟は1本の大木を半分に切ってくりぬき、鰹節形に整形した河川用の丸木舟(チプ)3艘と、両舷に波よけの板を張るために多数の小穴を開けた漁や航海に使用した板綴舟(イタオマチプ)2艘であった、一部の舷にはアイヌ民族特有のアイウシ文の彫刻や、櫂、棹には家紋(イトッパ)や所有印(シロシ)が施されたものがあり、アイヌ民族の所産であることが明確になりました。
※1…水をかいて舟を進ませる道具。一端をうすく平らにけずった棒
※2…水底につっぱって舟を進ませる棒
丸木舟はいつ作られたのか?
▲「蝦夷風俗図」に掲載された丸木舟(北海道大学蔵)
これらの舟の製作年代については、樽前B火山灰層下部より発掘されており、1667(寛文7)年の樽前山の大噴火により埋没したと考えられていたことから、約330年以前と推定されていました。しかし、C14年代測定法※3によって測定したところ770(±60)年前の結果となり。鎌倉時代末から室町時代初期(1330年代頃)のものと推定されています。
※3…放射性炭素年代測定とも呼ばれ、木片や生物の骨などに残留しているC14(炭素の放射性同位体)の量を調べることによって、その植物や生物が死んだ年代を特定する方法
交易の中継地点
▲丸木舟で石狩川を下る様子「西蝦夷図巻 坤」(北海道大学蔵)
1992(平成4)年、新千歳空港建設に伴う千歳市美々8遺跡低湿地部の調査(財団法人北海道埋蔵文化財センター)から、幕末の蝦夷地探検家 松浦武四郎(まつうらたけしろう)が記述している美々舟着場跡が調査されました。
そこからは大量の木製品とともに、丸木舟、板綴舟をはじめ、櫂、車櫂(くるまがい)※4、棹、あかくみ※5などの舟具が出土しました。
▲アイヌの人が丸木舟に乗る様子「蝦夷風俗図」(北海道大学附属図書館蔵)
特に櫂や車櫂の軸受けにはメカジキ(シリカップ)の彫刻が施され、美々8遺跡を拠点とする集落(コタン)より、板綴舟に乗り、美々川、ウトナイ沼、勇払川を下り、太平洋に出て離頭銛(キテ)※6を使った勇壮なシリカップ漁が行われていたと推測されています。沼ノ端の丸木舟出土地は、まさにこの中継地として機能していたと考えられています。
大型の丸木舟5艘も繋がれた状態で発掘され、全国的にこのような事例はなく古文献の史実を裏付ける意味からも民俗学上貴重な資料のため北海道の文化財に指定されています。
※4…西洋式のオールのように両舷につけた軸受け(支点)に櫂をつけて漕ぐもの
※5…船底にたまった水をくみ取る桶のようなもの
※6…大型魚類の漁に使用した特殊な銛(もり)
所在地
苫小牧市美術博物館内(末広町3丁目9番7号)※常設展内のため、ご覧になるには入館料が必要になります