平成19年度2次隊マラウイ村落開発普及員 鈴木沙織さん No.2
協力隊活動について
活動の内容
青年海外協力隊は専門性が必要な職種もありますけど、私が選んだ村落開発普及員は専門性を必要としない職種でした。村落開発普及員は100人100様でそれぞれ違いますので、私自身の経験をお話しします。私は孤児施設に配属され、 HIV 陽性者の現金収入向上支援を担当しており、サイザル麻※1から繊維を取り出して、アクセサリーやブレスレットを作り販売をしていました。
紙芝居による栄養指導
値段が高めだったので現地人にはなかなか売れず、孤児施設にファンドレイジング※2ショップ(古着などを扱う店)があり、そこに置かせてもらったりしていました。協力隊OVの方がやっているネットショップでフェアトレードを行なった際には、現地の人にとっては多すぎるお金が入ってしまい、お金の分配などで揉めてしまいました。事前にもう少し話し合ったりしていれば良かったと思いましたが、配属先のトップがその後やらないで欲しいという方針だったので、その1回きりで終わってしまいました。
日々の生活は、午前中に前述のショップでお店のマネジメントなどをし、午後からはHIV陽性者のグループに栄養指導や料理講習をしたり、青少年活動担当の隊員と共にこども達に歌や日本語を教えたりしていました。
日々の生活は、午前中に前述のショップでお店のマネジメントなどをし、午後からはHIV陽性者のグループに栄養指導や料理講習をしたり、青少年活動担当の隊員と共にこども達に歌や日本語を教えたりしていました。
毎年1回、子どもたちが沖縄のエイサーを踊るイベントを他の隊員と企画して行ないました。練習に参加しない子どもがいたりと大変なことも色々ありましたが、本番まで1ヶ月くらい練習を重ねた結果大成功に終わりました。最後に子どもたちがみんなで私の名前の替え歌を歌い、感謝の気持ちを表してくれたことに感激して泣いてしまいました。
また、良くグループに来ていた赤ちゃんが亡くなったときに行ったお葬式が一番悲しかったです。マラウイでは大人よりも子どもの方が亡くなることが多いです。私は日本でも一度もお葬式に出たことは無かったのですが、死が身近にあるように感じました。
現地スタッフとの関係
青年海外協力隊などの活動では、隊員が帰国してからも活動を継続させるため、カウンターパートという現地スタッフがつきます。私のカウンターパートは結婚したばかりの若い女性で、私の任期中に2度の妊娠・出産をしたため、仕事で会うことはほとんどありませんでした。その代わりに、現地のボランティアスタッフ3、4人にお願いをして仕事をしていました。彼らには本当にお世話になりました。ただ、彼らのモチベーションを保つのが今回の派遣の中では一番難しく、とにかく褒めたり、小さくても仕事を任せることで責任を持たせたりしていました。
協力隊を終えて
日本に帰って来て最初にしたかったこと
おいしい料理が食べたかったです。何より魚料理が食べたかったんで、帰ってきてから他の隊員たちとすぐに食べて写真も撮りました。また、帰国したら絶対したいと同期で話していたコンビニパーティーをして、みんなコンビニであらゆるものを買ってしま いました。
協力隊の経験がもたらしてくれたもの
視野が広がりました。日本にいるだけでは見えてこなかったものが見えるようになりましたし、日本のことについても外から見て気付くことも多かったです。時間の正確さや挨拶の丁寧さなど、誇るべき日本の文化として日本の良さも改めて認識することが出来ました。