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青年海外協力隊~協力隊員の声~(平成19年鈴木さん)

平成19年度2次隊マラウイ村落開発普及員 鈴木沙織さん

プロフィール

jocv_H19_suzuki苫小牧市内の高校を卒業し、大学進学後千葉にて就職。その後、平成18年に青年海外協力隊員に応募。
翌年から村落開発普及員として、マラウイに赴任し平成21年9月、2年間の任期を終え帰国。

マラウイ共和国について

マラウイは、アフリカの南東部に位置する人口1,400万人超の国で、面積は北海道と九州を合わせたくらいです。ただ、南北に走る大きな湖(マラウイ湖)があり、国土の1/5は湖や川などです。
首都はリロングウェという所で、私の勤務地は首都から60Kmぐらいのところにあるナミテテというところでした。
マラウイには、ジャガランダという日本の桜に似た花もありました。蛍光の紫みたいな派手な色で、咲いている期間も短いんですけど、帰国の際に空港でちょうど咲いていたこともあり、まさに卒業の花というイメージでした。
マラウイの第一印象
アフリカは漠然と緑が多いというイメージがあったのですが、乾期の一番厳しい時期(9月末)だったこともあり、緑が少ないな~と感じました。ただ、ジャガランダは咲いていました。

マラウイでの生活について

普段の食事
普段は市場で玉子や(時々)肉、野菜を買って自炊していましたが、村人たちにとって玉子や肉は高価でなかなか手が届かず、概して村人たちにはプロテイン(タンパク質)が不足しており栄養状態は良くありませんでした。
マラウイの主食は、乾燥させたとうもろこしの粉をボイルしお団子状にした「シマ」というもので、トマト煮込みで食べていました。また、マラウイアンは魚が好きでこれもトマト煮込みで食べていました。私は、バーベキューで食べるうなぎのようなものが好きでした。
とうもろこしはどこの家でも作っていて、主食以外にもマラウイでよく飲まれているカチャースやチブクというお酒の原料になったりしていました。私はカチャースが苦手で、とてもじゃないけど飲めませんでしたが、マラウイアンは良く飲んでいました。
果物は季節ごとに種類があり、マンゴー、バナナ、パイナップル、りんごなどが市場に並んでいました。特にマンゴーは値段も安く最高でした。
仕事後の生活
勤務は通常5時半から6時頃までに終わり、入浴や夕食後は、9時頃まで読書、手芸などで時間を過ごし寝ていました。また、近くに隊員が3人ほどいたので、毎日のように井戸端会議をしていました。
自宅や防犯設備等はJICAが用意しており、窓に柵を付けたり、夜間警備員を雇ったりしていましたが、結局泥棒に入られてしまいました。ただ、治安はそれほど悪いというわけではありません。また、水は夜9時以降に必ず断水していたほか、電気は4日に1度は停電していました。ただ、マラウイでももう少し都会に行くと、全然違う生活をしているところもありました。jpgjocv_H19_suzuki_sisal(149.03 KB)
サイザル麻によるアクセサリーづくり
赴任して半年後に任地変更をしましたが、40度以上の高熱が1週間にわたって続いたり、原因不明の湿疹が出たりしたためです。前任の隊員も抵抗力が下がっていたためなのか、任期中マラリアやウイルス性の病気などを何度も経験しており、やむを得ずの任地変更でした。病気を繰り返すのでは活動どころではなく、現地の人々の役に立つこともできないと考えたからです。 その後は、問題なく1年半を過ごすことが出来ました。
任期中の休暇
任期中は20日間の休暇があります。一般の会社の有給休暇のようなものですね。各自配属先と調整して自由に取得することができて、まとめて取る人もいれば分割で取る人もいます。私は5日間を4回に分けてフルに使い、隣国のモザンビークとザンビアにそれぞれ2回ずつ行きました。世界遺産のビクトリアフォールズを見たりジンベイザメとダイビングをしたりと、とても楽しんで休暇を過ごすことができました。

お問い合わせ

総合政策部未来創造戦略室
電話:0144-32-6229、0144-32-6157,0144-32-6062
フォームからのお問い合わせ(リンク)

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