苫小牧市では、広く社会文化の興隆や市の発展に尽くし、市民が郷土の誇りとする方に名誉市民の称号を贈っています
名誉市民氏名 | 授与年 | 主たる経歴 | 事績の概要 |
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小保方 卯市 | 昭和28年 | 明治4年11月5日生まれ 明治42年8月~村議会議員 大正3年10月~公設苫小牧消防組々頭 大正8年5月~大正9年10月 町議会議員 大正9年10月~昭和7年4月 道議会議員 大正14年1月~苫小牧信用組合組合長 大正14年4月~苫小牧警防団長 昭和23年3月~苫小牧市公安委員長 |
村・町議会議員及び道議会議員として、勇払原野の開発、酪農地帯の造成、港築設等道南地方一帯の産業の発展向上に尽くされ、今日の基礎をなし、かつ、教育・文化・社会福祉の発展向上にも貢献されました。 また、消防組織の改善拡充に努め、かつ、消防施設の改良を成し遂げ消防力機動化の推進に大きな功績をあげるなど、苫小牧市の先駆者として地方自治行政に著しい業績を残されました。(昭和36年11月16日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。) |
岩倉 巻次 | 昭和43年 | 明治27年1月15日生まれ 大正2年6月~造林、薪炭業創立 昭和23年4月~昭和38年8月苫小牧商工会議所会頭 昭和26年4月~昭和45年4月苫小牧森林組合組合長 昭和24年12月~昭和28年1月苫小牧港築設期成同盟会会長 昭和28年2月~昭和38年11月苫小牧工業港促進期成会会長 昭和38年11月~昭和43年3月苫小牧新産業都市建設協力会会長 |
若くして岩倉組を創立し、産業人として終始一貫、木材の高度利用による産業の発展に努力し、地域経済の振興に貢献されました。
また、商工会議所会頭、築港期成会長などの要職を歴任し、苫小牧港の実現に献身尽力し郷土の発展に寄与するとともに、極めて信仰心に篤く人間愛の精神に徹して社会奉仕と後進の育成に尽くされました。(昭和45年5月5日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。)
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相武 吉治郎 | 昭和43年 | 明治13年2月23日生まれ 大正5年5月~村議会議員 大正7年1月~町議会議員 昭和21年11月~昭和22年4月町議会議長 昭和23年4月~昭和26年4月市議会議員 昭和30年5月~昭和34年4月市議会議員 大正8年~昭和24年1月苫小牧信用組合理事 |
村・町・市議会議員として40年間にわたり、市政の中枢にあって市勢の伸展に尽力され、特に北海道開発のかなめである勇払原野の開発、苫小牧港の建設のため、献身的な努力を払い、苫小牧市発展の基礎を築かれました。(昭和52年2月26日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。) |
篠田 弘作 | 昭和56年 | 明治32年7月27日生まれ 昭和24年1月~昭和54年9月衆議院議員 昭和28年3月農林政務次官 昭和37年7月自治大臣兼国家公安委員長 昭和52年5月~北海道開発審議会委員 昭和40年5月~昭和56年1月苫小牧港開発(株)社長 昭和56年1月~苫小牧港開発(株)会長 |
昭和24年以来30年のながきにわたり衆議院議員として、農林政務次官、自治大臣等を歴任するとともに、北海道開発の拠点としての苫小牧工業港の建設に率先奔走され、西港の開港と臨海工業基地の企業立地に全力を傾けられた。 さらに、東部工業基地開発計画を積極的に推進し、今日の苫小牧市発展の礎を築かれました。(昭和56年11月11日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。) |
田中 正太郎 | 昭和63年 | 明治18年11月23日生まれ 明治41年3月~大正7年2月苫小牧尋常高等小学校訓導 大正7年3月~大正10年6月苫小牧尋常小学校校長 大正10年7月~昭和22年3月苫小牧尋常高等小学校校長 昭和22年4月~昭和23年3月苫小牧町長 昭和23年4月~昭和38年4月苫小牧市長 昭和36年3月~昭和38年4月苫小牧女子高等学校校長 |
明治41年以来39年のながきにわたり教育者として子弟の教育と地域社会の文化の向上に尽くされ、当地方教育の確固たる基礎を築かれました。 さらに、昭和22年からは町長に就任、引き続き初代市長として16年間新しい都市形態の確立と市政発展のために、苫小牧港の建設促進に奔走尽力し、地方自治振興に著しい功績をあげられ、今日の苫小牧市の発展の礎を築かれました。(昭和40年1月17日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。) |
西田 信一 | 昭和63年 | 明治35年10月15日生まれ 昭和18年5月~昭和21年3月苫小牧町助役 昭和21年3月~昭和21年12月苫小牧町長 昭和22年4月~昭和30年3月道議会議員 昭和31年7月~昭和49年6月参議院議員 昭和35年12月~昭和36年7月行政管理庁政務次官 昭和45年1月~昭和46年7月国務大臣(北海道開発庁長官、科学技術庁長官、オリンピック担当相、原子力委員長、宇宙開発委員長兼任) 昭和40年4月~昭和49年3月日本スケート連盟副会長 昭和48年8月~平成2年6月北海道アイスホッケー連盟会長 |
昭和3年に苫小牧町に奉職し、昭和21年に町長に就任、翌昭和22年から道議会議員として活躍され、さらに、昭和31年以来19年のながきにわたり参議院議員として、国務大臣等多くの要職を歴任するとともに、北海道開発の拠点としての苫小牧港の建設と臨海工業地帯の形成に率先奔走され、今日の苫小牧市の発展に多大の貢献をされました。 また、スポーツの普及振興に大きな功績をあげられ、今日のスポーツ都市苫小牧の礎を築かれました。(平成15年4月10日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。) |
大泉 源郎 | 昭和63年 | 明治43年12月20日生まれ 昭和22年5月~昭和23年3月苫小牧町助役 昭和23年4月~昭和38年4月苫小牧市助役 昭和38年5月~昭和58年4月苫小牧市長 昭和40年7月~昭和58年4月苫小牧港管理組合管理者 昭和50年5月~昭和52年5月北海道市長会副会長 昭和52年6月~昭和53年6月全国市長会副会長 |
昭和7年苫小牧町に奉職して以来51年間豊富な経験と卓越なる識見をもって、地方自治一筋に活躍されました。 この間16年、助役を勤められ、昭和38年からは市長として20年間のながきにわたり、人間環境都市建設のため、苫小牧港の整備促進と臨海工業地帯の建設に奔走し、併せて道路、上下水道の築設など都市基盤の整備と市民福祉の向上に尽力され、今日の苫小牧市の飛躍的発展に貢献されました。(平成17年12月28日逝去、市葬をもって生前の功績に報いました。) |