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市指定史跡 勇払会所の跡
■市指定史跡 昭和31(1956)年3月10日指定
■所在地:苫小牧市字勇払50番地4,12
■所有者:苫小牧市
■管理者:苫小牧市教育委員会


▲勇払会所の跡に建立された記念碑


 

蝦夷地の交通・交易・行政の要地

江戸時代を通じて、勇払は河海領域にわたる交通の中心であり、その内陸部はシコツと呼ばれた漁業・狩猟の盛んな地域でありました。また、アイヌ民族と日本人の交易の拠点としておかれた「運上屋」(うんじょうや)を中心に栄えました。

寛政11(1799)年、江戸幕府は外国勢力の蝦夷地新侵略と急激に発展しつつあった漁業生産物を幕府の直接的な統制のもとにおき、そこから最大の利益を引き出す目的で、蝦夷地を直轄しました。「運上屋」を「会所」に改め、幕府の役人を置き、従来の機能に加えて公務を行う出張役所の性格をもたせました。寛政12(1800)年には八王子千人同心が移住し、開墾と警備にあたりました。



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▲安静3~5(1856~1858)年幕府の命により北海道と樺太を調査測量した幕府の役人 目賀田 守蔭(めがた もりかげ)が各地の沿岸を描いた鳥瞰図。これは明治4(1871)年に開拓使の要請で自ら清書して提出したもの「北海道歴検図」(北海道大学附属図書館蔵)



文化元(1804)年には、勇払川の東側にあった会所を現在の記念碑が建っている地点に移動し、会所は立て替えられました。会所の周囲は、米・塩・網・産物などを納める倉庫、大工・鍛冶などの作業小屋、通行人などの下宿所、弁天社・稲荷社など船乗りが信仰する堂社などが囲み一集落を形成しました。

文政4(1821)年幕府は直轄を止め松前藩に戻しましたが、安政2(1855)年に再びこれを直轄し、蝦夷地の防備を強化しました。この頃には、会所はさらに改築し拡大されており、幕末の勇払は、当時の主力産物であったイワシ漁による〆粕(しめかす)※1の重要な集積地や出荷地としての位置づけが高まったいたことがわかります。



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▲東蝦夷地および国後島、択捉島の各場所お美麗な風景画を収めた「東蝦夷図巻」のうち勇払を彩色画で描いたもの。安政4(1857)年頃に仙台藩の警備に加わった画家の作品と考えられている(北海道大学附属図書館蔵)




明治2(1869)年開拓使が設置され、明治6(1873)年には、開拓使出張所が勇払から当時の苫細村(苫小牧)に移り、勇払の時代は終りを告げました。「勇払会所の跡」は、かつて、この地方が交通、交易、行政の要地であったことを伝える重要な史跡です。



▲勇払ふるさと公園内にある勇武津資料館は、勇払会所を模して作られている


※1〆粕(しめかす)
肥料として使われた、魚から油を搾り取ったかすのこと


 

アクセスマップ

苫小牧市字勇払50番地4,12
 






 

お問い合わせ

教育部生涯学習課
電話:0144-32-6752、0144-32-6756
フォームからのお問い合わせ(リンク)

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