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市指定有形文化財 林重右衛門墓碑

■市指定有形文化財 昭和54(1982)年7月4日指定
■所在地:苫小牧市字錦岡238番地1
■所有者:苫小牧市
■管理者:苫小牧市教育委員会



▲錦岡地区にある林重右衛門の墓碑


 

東日本一だった樽前浜のイワシ漁

江戸時代から明治にかけて苫小牧の勇払から白老に至る一帯は樽前浜と呼ばれ、5~6月頃から前浜に押し寄せるマイワシを地曳網で獲るイワシ漁が盛んでした。獲られたイワシは魚肥の一種である〆粕(しめかす) に加工されていました。



▲地曳網引き揚げ風景(目で見る苫小牧の百年)


江戸時代中期以降には、生糸(きいと) や棉(めん)などの商品作物の需要の増加に伴い、それら作物の肥料として使われた〆粕の需要も高まりました。苫小牧産の〆粕は、品質の高さから全国的な名声を得て、全国各地に輸送されました。



▲イワシ漁の様子(目で見る苫小牧の百年)


イワシ漁は魚を獲って、それを煮て絞り乾燥させて〆粕にし、俵詰にするという一連の作業を行うため、小さい漁場で30人、大きい漁場では200人を超える人員を要しました。


▲〆粕製造風景(目で見る苫小牧の百年)


現在の勇払から苫小牧中央部までは、場所請負人の持ち場になっていて10場所ほど、苫小牧中央部から樽前にかけては、多いときには50場所ほどと、東北などからの出稼人達に支えられていました。出稼人達は漁獲の二割を請負人に支払い、八割が自分たちの取り分となる仕組みで「二八取り」とも呼ばれていました。

 

5代目 林重右衛門

林家は南部易国澗で漁業を営む網元で、天保2(1831)年、酉松(とりまつ) と名乗った5代目が重右衛門(じゅうえもん) を襲名し家業を継いでいます。この時期は、樽前浜のイワシ漁業が大規模漁業として確立した時期で、重右衛門は毎年、樽前浜にやって来て、大勢の漁夫を指揮してイワシ漁業を行っていました。

しかし、襲名から僅か7年、天保8(1837)年に39歳の若さで重右衛門は樽前浜で病死しました。この墓碑に、林家の|三(みつひき)の屋号があり、箱館の場所請負人、井筒屋(いづつや) 大橋久右衛門 (おおはしきゅうえもん)が、林重右衛門の霊を弔うために建立したものと推察されます。


▲林重右衛門の墓碑には|三(みつひき)の屋号がある


弘化2(1845)年、この地を訪れた松浦武四郎(まつうらたけしろう)は 、『初航蝦夷日誌(しょこうえぞにっし) 』の中に「豊漁期にはアイヌの使役もあって樽前浜は商人の出店や茶屋も建つほどの盛況を極め、その繁栄は東部第一なり。」と記述しています。

 
 

アクセスマップ

苫小牧市字錦岡238番地1
 

お問い合わせ

教育部生涯学習課
電話:0144-32-6752、0144-32-6756
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