ここから本文です。

開拓使美々鹿肉缶詰製造所跡

■所有地:苫小牧市美沢

jpg(136.72 KB)
▲明治12年ごろの製造所外観(北海道大学蔵)

 開拓使は北海道の産業振興を図るため各地で多くの官営事業を行いました。美々鹿肉缶詰製造所もその一つです。製造所で作られた缶詰は、東京や横浜はもとよりフランスの万国博覧会に出品するなどして国内外の評価も高まります。ところが、乱獲やまれにみる大雪と降雨によって10万頭に及ぶエゾシカが餓死し、生息数が激減します。原料となるエゾシカを失った製造所は生産が困難となり、明治17(1884)年6月12日に廃止が決定され、わずか6年ほどの歴史に幕を閉じました。



 

植苗・美沢地方とエゾシカ

豪雪を嫌い、ササ類を好むエゾシカは太平洋沿岸を越冬地に選びます。植苗美沢地区はこの要件を満たし、水のみ場とする小川や小さな沢があり、格好の越冬場所であり生息場所です。
 

エゾシカと人々の関わり

エゾシカと人間の関わりの歴史は古く、市内の縄文時代の遺跡からはシカの絵が描かれた土器、エゾシカの骨が大量に出土しています。

当時シカを捕獲する方法には弓矢、ワナのほかTピットと呼ばれる落し穴も使用されました。市内の遺跡からは静川22遺跡・弁天貝塚などからエゾシカの骨が大量に出土しています。また、アイヌの人々はシカをユと呼んでいましたが、これは獲物の意味も持ち、エゾシカが狩りの対象として、その肉が食料として重要であったことを伝えています。
 

開拓使の官営工場

 官営工場は明治2(1869)年に設置された開拓使の主導によって稼動した工場で、指導には御雇外国人があたりました。開拓使は北海道に条件の似ているアメリカをモデルにしたため、御雇外国人78名の半数以上の48名はアメリカ人を採用しています。
 明治8、9(1875、1876)年に札幌に製糸場、葡萄酒醸造所、麦酒醸造所などが開設し、同10(1877)年には石狩缶詰所でサケの缶詰生産がはじまっています。缶詰製造の指導にはアメリカ人のトリート、スエットがあたりました。工場で生産された缶詰製品は同11(1878)年5月にパリ万国博に出品された他、ウラジオストックで開催された北海道見本市にも出品され、好評を博しました。製品は政府高官や知識人にも贈与され、その中には福沢諭吉の名も見えます。しかし、国内販売の見込みはたちませんでした。それは缶詰が周知されていなかったこと、高価で庶民に手がでなかったことが理由と考えられます。

 

開拓使美々鹿肉缶詰製造所


jpg(102.97 KB)
▲製造所推定配置図(苫小牧市美沢)

 美々鹿肉缶詰製造所は、明治7(1874)年以来官認されていた私設の鹿肉燻製所を改築した施設です。ここでは石狩缶詰所で成功をみた鹿肉缶詰を製造する目的をもって、同11(1878)年10月に2,000坪の敷地内に缶詰製造所および脂肪製れん所も併設されました。翌12(1879)年3月には血液、臓腑から人造硝石をつくる製造所を建設。また板倉、簡易な職夫舎も設けられ、本格的な操業に入ります。さらに、11月には缶詰製造所を増設し、その運営も軌道に乗っていきました。

11(1878)年の缶詰生産高は76,313缶、7,106円余を生産し、国内外の評価も高まります。ところが同12(1879)年1月から2月にかけての全道的にまれにみる大雪により、数10万といわれるエゾシカが餓死したほか、人里におりたところを殺され、製造は難しくなります。同年の生産高は21,680缶、3,388円にとどまり、機構も石狩と合わせて石狩美々鹿肉缶詰製造所となります。こうした鹿の被害と乱獲が決定的打撃となり、同13(1880)年には製造を中止。開拓使が廃止となった同15(1882)年、施設は農商務省が引継ぎましたが、もはや再興の見込みはないとして同17(1884)年6月12日に廃止となりました。

製造所の建物設備は同16(1883)年1月、苫小牧村にてホッキ貝製造用として3棟9円をもって函館、渡辺儀三郎代理、苫小牧村西村伝兵衛に売却、その後建物、土地ともに民間に払い下げられました。



 

缶詰製造所跡地の発掘

jpg(92.85 KB)
 ▲発掘調査の様子

jpg(78.92 KB)jpg(99.42 KB)
▲発掘されたビン缶類

昭和49(1974)年、市教育委員会により跡地の発掘調査が行われ、発掘の総点数は4,581点。その内訳は缶1,500点、獣骨1,500点、レンガ片541点などです。
 
 

缶詰製造所のプラス面とマイナス面


jpg(122.49 KB)
▲当時製造していた鹿肉缶詰のレプリカ(苫小牧市美術博物館蔵)

■プラス面
 ・特産品を利用するユニークな事業
 ・販売戦略が世界を向いていたこと
 ・最新鋭の技術を利用した画期的製品

■マイナス面
 ・自然資源に依存しすぎた点
 ・経営の未熟さ
 ・自然保護観念の低さ
 

缶詰製造所の教訓とエゾシカ

現在北海道内のエゾシカは交通事故の多発、農林業の被害にみられる通り、増加の一途をたどっています。その原因はエゾオオカミの絶滅、ハンターの減少、さらに冬の餌条件が良くなり、子ジカの死亡率が減少したことなどがあります。現在、野生動物関係者は生態系の多様性を維持するため、間引いた肉を無駄にすることなく食材によって一定数に抑える捕獲努力をしています。これは明治の官営工場の発想と部分的には似ています。北海道の自然に育まれたエゾシカと農林業を共存させるために、限りある資源と折り合うこと大切であるといわれています。



 

 所在地


苫小牧市美沢
▼苫小牧市街地から車で約40分



▲苫小牧側から向って、道道10号線と交わる交差点を右折


▲道道10号線沿いにある説明看板と標柱が目印
左側の石碑は、明治天皇行幸を記念し建立された「御駐蹕之碑」です。






 

お問い合わせ

教育部生涯学習課
電話:0144-32-6752、0144-32-6756
フォームからのお問い合わせ(リンク)

本文ここまで

  • 前のページに戻る
  • ページの先頭へ戻る

ここからフッターメニュー

フッターメニューの文章は、リードスピーカーにより読み上げされません