八王子千人同心は、寛政11年(1799年)に蝦夷地が外国からの脅威にさらされたため、寛政12年(1800)に武州八王子から蝦夷地の防衛と開拓のために、組頭原半左衛門を隊長に弟新介を副士として同心子弟100人を伴って蝦夷地に入りました。半左衛門は50人を引き連れて白糠へ、新介は勇武津に入り、警備、開墾などに従事しました。さらに千人同心の河西祐助は原隊とは別に幕吏の見習いとして妻子を連れて勇武津に入りました。
このことが本市開拓の第一歩となりましたが、移住した同心たちは、苛酷な自然環境などで不毛の原野の開拓は思うようにまかせず、2年目にして死亡する者16名、病にかかり帰郷する者多数出し、入植4年目に開墾地を離れました。
先人たちのこのような筆舌に尽くし難い苦労が、200年を経た今日の苫小牧の礎となっています。
写真は市民会館前にある勇払原野開拓記念碑の千人同心の顕彰碑